子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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毒親と素敵ママの特徴を比較して涙が流れた


私は毒親かもしれない……。

子育て中の母親は他の母親と交流する機会にあふれている。引きこもり主婦だとしても、否が応でも他の母親と会話しなければならないときもある。

そこに比較する思考が無意識に現れる。すると自虐的に自分を毒親だと思い込み、相手を素敵ママだと思い込む。ますます自分を追い込み子育てに自信を失う負のスパイラルが始まる。毒親という言葉ひとつで自分を象徴すること自体が無責任だと思うが、娘の視点からすれば育ててもらった母親が普通だったのか毒親だったのかは成長して長い長い時間をかけて評価されるのか? そう思うと、なんだか執行待ちのみであるような恐ろしささえわいてくる最近だ……。


今日も家から一歩も出なかった。
薬のせいか眠気がひどい。だからと言って、寝れば熟睡の質の高い睡眠が得られるわけでもない。精神病の問題ってこんなもの。精神病だから子育てが普通じゃない、自分の母親は病気ながらよく育ててくれた?と何十年か先に思うのか? それとも児相にまで預けられた私は毒親に育てられたと振り返るのか?そこのところは今の私にはわからない。

旦那は4時に出勤。昨夜の就寝も21時前だった。
昨日の夕食時に、私の朝食分を作って台所に置いてくれていたようだ。うれしい…。
私は9時起床。パソコンを開いて、トロイメライのピアノ特集をかけながらこの世とは違う私の世界に没頭した。ふと、園の帰り道に顔見知りのママと出くわしたことを思い出した。素敵ママだった。

彼女は2人の子持ちで、とても子供好き。上の女の子はうちの娘と同じ年に生まれた。
でも早生まれでうちの娘より1つ上の学年になる。下の子は今年生まれて5ヶ月になる男の子。彼女の子育てはとても感心するところばかり。私の理想かもしれない。

上の子を愛し、上の子を何よりも優先。下の子は手がかからないからと放っておくも、2人目ということでどっしりとした包容力で子育てをしている。まるでお手本のようにステキな子育てをしているママだ。

素敵ママと別れてから泣いてしまった。自分が毒に思えたからだ。あんな素敵なママに育てられた子供と比較して、毒親かもしれない私が育てる娘は、なんて不幸なんだろうと涙をこらえられなくなってしまったのだ。


あの子とうちの娘には共通点がいっぱいある。まず、おしゃべりが早かったこと。とても大人っぽいということ。世話好きで、お手伝い上手なこと。歌が上手いこと。一方で、大きく違う点は、ちゃんと母親にダダをこねて甘えられるということ。
比べても仕方がないと分かっているけれど、私の娘は、親の愛情ももらえないまま生きていくしかないのだろうか? 母親の愛情を求めようとしない子どもなんていない。

それなのに、甘えて泣いている声を聞くだけで私は狂ってしまう時がある。子どもの泣き声に耐えられない私がまだいるのだ。小さな子供にとって、これを毒と言わずに何と言うのだろう……?

生まれて間もない頃の、娘が笑っている写真を見てしまった。なぜ、この子は笑っているのだろう? 私の子供として生まれたのは本当でも、愛情なぞ与えたことがないのに…どうしてなのだろう?

娘の笑顔に疑問符をつけるなんてなにやってんだか…子供は親を選べないんだな。娘が私に求めてることって何だ? 他人の幸せに見とれてる暇があるなら、娘に心を向けてなくちゃ。

自分をいじめたらダメだ、自分を毒親だなんて責めたらダメだ、私という母親像を否定すればするほど、それは子供を否定することに値する。子育てぶりを見比べて流れてしまった涙を自信に変えたい。
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