子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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育児ノイローゼで他の母親と目が合わせられない


育児ノイローゼと精神症状の区別が自分でもつかない。

今朝の娘はなかなか起きようとしなかった。私もよく眠れていない。また悪夢を見たからだ。これは症状か? それともノイローゼか? 混ざり混ざってなんだかよくわからないのだった。どこに?とか誰が?とはわからないが、とにかく誰かが私のテリトリーに入り込んでくる夢だ。私は阻止しようと奮闘する。

その誰かはいつの間にか姉に変わって、私は狂ったような姉と闘っていた。いつもの妙な夢にうなされて、寝てたのか起きてたのかも知らないが、よく眠れなかった。いつまでも起きようとしない娘に「太陽さんが笑ってるぞー」と言うと飛び起きてきた。身支度をさせて登園。

園に着くと他のママたちや先生が談笑していた。
相変わらず誰とも目を合わせられない私。用事でなにか話さなければならなくても目を合わせないで話す私……。

なにをこわがっているんだ?こわがっているつもりはない?じゃあ、どうして他のママたちのように目と目を合わせてニコニコ顔で会話できないんだ?
やっぱり私は欠陥ママだね……それとも育児ノイローゼで母親の機能が麻痺してる?

帰宅後、ウトウトしていると三時頃に宿直明けの旦那が帰宅した。
園が終われば娘を耳鼻科に連れて行くというので私は診察に行った。

眠れない、食べれない、イライラもする、憂鬱がひどい。
そうやって主治医に訴えると抗不安薬と睡眠持続剤が増量された。

ところで、引きこもり主婦となる前は働いていた。

経済的な問題もあったが、それ以上に娘と離れなければ育児ノイローゼがひどくなり娘に危害を加えそうで怖くて離れたかったから。

でもダメだった。根本的にうつ病なんだから仕事なんていつもままならない。
結局すべてが中途半端に終わった。育児も仕事も家事も……
母親の役目も自分の就業能力も嫁の仕事もなにもかもうまくいかない。
当時、問題を抱えた私に与えられた課題は私の状態に反してスクスクと育つ娘との関係が悪化しない為の精神的安定だった。

当然、仕事は辞めた。精神科の先生や支援センターの相談員の助けを借りながら子育てを放棄しないために子育てを休んだり、私のPTSDの治療や併発するうつ病の対処を試みた。すると、早く早くいいお母さんにならなきゃと強い焦燥感におそわれるはめとなる。
生い立ちとは、人生の明暗を決めるものだなと思った。


私が病院から帰ると、娘と旦那は先に帰宅していた。
夕飯と洗い物は旦那がやってくれた。宿直明けなのにありがとう。

お風呂は私が入れた。
しかし娘の機嫌は悪い。ぐずりだしたら止まらないのだ。
両手を振り回すから、私の顔に手が当たって痛い。
私も手を出す? それは虐待? だから、それはしない。
それは私が幼少期にされてイヤだったから悲しかったからその時は泣かなかったけれど思い出すと恐怖心に包まれていたような記憶があるから、だからしない。手を出さない。
それが私だ。

けれど他人格が手を出そうとする。それは精神症状だ。そこに育児ノイローゼが重なっている。いい親を演じるのは大変だ。

私は他人が怖いのか? だから園でも他のママたちと目を合わせられないのか?

育児ノイローゼの原因は私の場合トラウマだ。


自分の幼少期に受けた悲しい過去が、純粋に子どもを愛する気持ちを許してくれないのだ。自分の存在を認めて欲しいのではなくて、自分の存在を許して欲しいと言う気持ち。

この気持ちは、子どもの頃、虐待とかつらい体験をした人が抱く独特の感性だと思う。
いつもいつも「うるさいっ」と怒鳴られて叩かれて、つぶれたゴキブリを押しつけられて…生きていてごめんなさいという気持ちを抱いておくことが親への体裁であった私。
大きくなっても大人になっても、しぜんと「すいません」が口癖になった。
何も悪くないのにすいませんと口にする人がいる。それはたぶん、「(生きていて)すいません」と人に言いたいのかもしれない。

日々……心の中で葛藤しているんだね。自分の気持ちを自分で処理できない親に育てられた私。育てられながら、私はいつも逃げることだけを考えていた。それから、親に自分の存在を許して欲しかったのだ。自分の存在価値を認めて欲しかったんじゃない。ただただ、生まれてきたことを許して欲しかったのだ。

そういう私が大人になって今度は親になった。育児してる…自分。
子どもはまだ小さいけれど、どこに連れて行ってもペタペタと一生懸命私の後を付いてくる娘には、自分の体験を繰り返させてはいけないと強く思うのだ。

大切にしたい。大切にされているという実感を娘に与えてやりたい。そう思うのに、過去の私が自分がされたことを娘にしてしまう。児童相談所に預けるしかなかった娘といつか一緒に暮らしたい。

育児ノイローゼから解消されたい。

病気を治して娘と暮らしたい。
そう考える自分に「育てた親の代わりに娘にやり返せ」と言い寄ってくるもう一人の自分。どうしてなんだ?
どうして私にはもう一人の私がいるんだ?

日々、薄皮をはがすように良くなっていくのが心の病気だとしても、娘の成長はそんなトロトロしたスピードに合わせてくれないのだ。精神病はビューンと良くならないのか?
歩く、進む事もできずに暗闇の中で動けず、呆然とするばかり、そしていつの間にかそれがトンネルになり出口が見えない。

幸せになる権利、あるって知らなかった。バカだ私は。やはり母にすり込みさせられた後遺症なんだか……心の奥底では娘を思っている。でも、私の何かがそれを許せない。私が望む育児を許さないのだ。
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