子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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頭ごなしに叱る母親と泣いているのに抱っこできない母親


いつだったか、園の懇談会で垣間見た母親が子供を頭ごなしに叱っていた。

キツい物言いで子供を叱る母親だ。その母親のキャラだと言えばそれで終わる話だが、断片的に頭ごなしに叱る風景に遭遇すると、その親子の日常全てにそういう荒っぽい親子関係を想像してしまうのだった。

その親子が砂場で遊んでいた・・・・・・。
懇談会で子供を頭ごなしに叱っていた母親も居た。
口調がきつい人だから怖くて話せなかった。悪気はないと思うんだけども、子供に対する口調が乱暴だったので・・・たしか「何言ってんだ、バカやろう!」だったはず。
だから、私は苦手に感じた。
そういう、頭ごなしに叱る母親は怖い。自分の母を思い出すのかもしれないなあ。

公園では娘と2人で砂の山を作り、トンネルを作って超大作!途中、疲れたりもしたけれど、上手くつきあえたと思う。

ちょっとまてよ・・・

私の場合、頭ごなしに娘を叱ることはないけれど、うつ病の症状のせいで娘への態度が混乱する場合がある。

子供にとって母親の態度に一貫性がないのは、荒っぽい母親と同様、良いことではないはず。内容は違えど、私も他の母親を評価できる資格はない。

私の幼少期は母親の態度にいつも警戒していた、無意識に。
一方で、無意識に母親に好かれようとしていたように思う。それは絶対的に弱い立場である子供としての防衛本能だったのかもしれない。

母親に嫌われないように、攻撃されないように、そのために母親好みの子供で居ることが自分の身を守る必要最低条件だった。
頭ごなしに叱られるのは子供がそう思うだけで、しかりつける母親にとっては根拠があって理不尽ではないのだろう。
気に入らない態度だから叱るのは当たり前。ウチはそんな教育方針だと言われてしまえばそれまでの話。
それは自活能力の無い子供には受け入れる選択しかない運命なのだ。
だから、そういう母親に育ててもらうために自分を変える努力をする子供。
それが幸せか不幸かと問う前に、まずは生きていなければならない子供は自然と母親に好かれる努力をする。
けれど、その努力は屈折した場合が多いから大人になって様々な問題を引き起こす。
そのひとつが、自分が親になったときに自分の子供に同じことを継承してしまうことだろう。

あの・・・頭ごなしに子供を叱るお母さん。
もしかすると幼少期に同じように育てられた経験がそうさせているのかもしれない。

その一方で、私は子供が泣いていても抱っこしてやれないのだから母親失格なんだなと思った。


普通、子供と母親は抱っこしてあげることで愛情の疎通が得られて絆が深まる?気がするけど、私の場合、心理的に抱っこできなかった。
腰痛で抱っこできないとか、潔癖で抱っこできないとかじゃない。

子供が泣いてママに甘えてくる姿が心理的に嫌悪感となって、抱っこできないのだ。私には母親に甘える本能を認めない、ママとしての資質異常があるんだろう。


一歳七ヶ月でいろんな言葉を話すようになった娘。
「ばいばい」
「いっちゃった」
「とーたんいないね」
などなど、その歳にしては早いような気がするが、ご機嫌な表情でたくさんの言葉を使うようになった。
こんなママの子供なのに、こんな立派に育っているじゃないか!子供は勝手に育つってよく言ったものだよななんて、いかにも無責任なことイッテル私。
情けない……

私が疲れて不機嫌でいらついてて口走った言葉で娘が泣き出す。
娘はどんどん泣く、泣きじゃくる……。
なのに抱かずにいる。冷たい、冷めたママだ。

泣いて泣いて私を追いかけてすがってくるのに、平気で冷静に抱っこもしない私。よそから見ると、私たちは少し変で意味深な親子だっただろうな。
今はああいうお母さんも多い…なんて思われていた?だろうね。

『泣いてるのに抱っこできない病』

そうだ、これは異常だ。素直に子供を愛せない。普通のママのように子供の成長に普通に感動したりできない。いうもどこか成長する子供に嫌悪感を抱いてしまう。
泣いてるのを受け止められないのはやはり私が母親に受け止めてもらってきてないからなのだろうか……。

なにかあるたびに泣く子供。なのにイライラもしない。子供が泣いていることに無関心でいられるから抱っこもしないし、オロオロもしない。

何とも思わない、思えないから、泣いていても抱っこできない。
そういう時期が私にはあった。

それなのにどうだ?
娘が泣いていればどうしようと思う。なにがあったんだと心配できる。手をつないでギュッギュッできる。そして抱っこしてほおずりできる。
今は、そういう母親らしいことができるようになった。
虐待されて育ったトラウマや精神疾患の症状の向こう側に存在する、素のままの私があらためて押し出されてきたんだろうと思う。

心の病気でも子育てはできる。


治療があって支えがあって自分の向上心があるなら、時間はかかるが子育てはできる。
ひょっとしたら、私の治療に間に合わずに子供は大きくなってしまう場合もあるかもしれないし、抱っこしなかった分、子供は愛情を受け取らずに育つことになろう。

でも、子供は母親を変えられない。私も、母親をやめられない。親子という事実は永遠に変わらないのだ。
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