子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
スポンサーリンク

親に愛されなかった子どもが結婚して抱えた問題


母親に愛されない子どもだった。

愛されずに育っただけではない。愛されていないことは虐待とかネグレストとかいう類いの問題を引き起こし、私の幼少期にいろんな問題を植え付けた。
トラウマは結婚して妻となり子どもを産んで母親となった私に、精神疾患や子育て困難という問題の花を咲かせた。
愛されなかったことは継承される……気がするのだ。
悲しいかな…問題は受け継がれていくものである気がする。


小さい頃から家事をさせられて育った私には、ちゃんと家事をしないと母親から叱られる恐怖感があって、それがいつしか義務感のような落ち着いた感情に変化して当たり前の日常だと認識するようになった。
けれど、そういう認識は大人になって心のゆがみとして植え付けられ、たとえば旦那に家事を手伝ってもらうと、強い罪悪感をおぼえて恐怖へと変わり、反射的に幼い頃の恐怖感と義務感が呼び起こされて精神的に混乱してしまうという現象が起きる……。

私にとって、母親に愛されなかったことはトラウマであり、生育上の問題であり、自分が家庭を持ち母親となり旦那とのコミュニケーションにも影響を与えてしまう、もうどうしようもない深い問題として背負い続けなければならない心の荷物となってしまったのだ。

愛情とか感謝とか怒りとか、子どもも含めた家族へのコミュニケーションがいつも健やかではない私。
これは、考え方や行動を〝直す〟ではなくて〝治す〟ことが必要なんだそうだ。
つまり私は病気。精神疾患でも子育てしている母親なんだろう。
育児ノイローゼや子育ての悩みについて解決論や精神論で応じようとしたところで、根本的に病は論ではなくて病なのだからしかたがない。

精神疾患の母親が子育てを頑張るには、多くの支援が必要であり、医療的サポートつまり服薬の継続や治療の継続が大前提なのだと思う。


今日は珍しく家事ができた。
なにせ、いつまで待っても旦那は今日出張で帰らないと分かっているからなのかもしれない。(私はなんて気まぐれなんだ…)

そういえば、旦那がいる時、仕事で疲れて帰ってきているのに、旦那に家事をしてもらっていると「怖い!」と思う事がある。つまりそれって、私の幼少の頃の思いでありトラウマだ。ちゃんと家事をしないと叱られる記憶を少し詳しくするとこうなる。

両親は共働きだった。
二人が帰ってくる前に私たち兄弟は力を合わせて家事をこなした。
そして完璧にできてなければ叱られた。(記憶は定かでないが体罰もあった気がする)
怖かった。
小さな子どもは母親から叱られないために小さな胸の内で一生懸命頑張るものだ。
だから私は、毎日考えた。
母親から叱られないようにするには、いいやむしろ母親の機嫌を損ねないようにするにはどうすれば良いか?と。
だから一生懸命家事をこなして母親の顔色をうかがっていた。
恐怖をいつまでも恐怖として感じていると体がもたないから、防衛的に無意識に、恐怖を義務として当たり前のことだと認識するようになったんだろう。
今では家事をする事は私にとって何も考えなくても体が完璧にこなしてくれる。けれど、心はいつも恐怖でいっぱいだった。

いつ母から叱られるか、いつ手が出てくるのか、足が出てくるのか、とおびえていたからだ。こういう思いを少しずつ克服しなくちゃならないのだろうなぁ。
昔のトラウマと今は違うのに、私はいつも錯覚をおこしてしまう。

通院先の精神科の主治医はそういう私に
「あなたの癒しとか回復は、性格を直すじゃなく、治す」
と言う。
うん、なるほどと思った。
スポンサーリンク



アクセスの多い投稿