子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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子育てできない母親


子育ては少しでも拒否する気持ちがあって義務感と葛藤に揉まれて子供に接していたなら心が疲れてしまう気がする。

良いママでありたいと誰もが考えるが、それに基準なんてない。子供がかわいいと思える瞬間があれば、それが子への愛だと思う。

人それぞれにものさしはあって、それに当てはめようとする人がいて、つい他のママと比べて強く戸惑うときはあるけれど、ものさしは人それぞれ違うのだ。もし、誰かのママが自分と誰かを比べてママの出来を評価するなんて傲慢なだけ……。

旦那もそう言ってくれるのに、他の誰かにそう言ってもらわないと安心できない私が時々いる。他人格ではなく、それは本来の私だ。

自分の母親に似たような親にならないか?それがこわくてたまらない。

血のつながりがあって遺伝があって、それでも私は別の人間だからと旦那は言うけれど、私の心の中に宿った幼少期のトラウマと他人格たちの口出しが本来の私を変えてしまうんじゃないか?とおびえてしまう夜だってある。

疲れたら子育てを休むと決めている私に他人格が口出しする。「おいおい、また怠けるのかい?」
自信がない、理想はある。
自分のことがわからない。本当はどうしたいのかわからない。いろんな自分がいて、それは全部私で、ある程度正常でそれ以外は異常で‥‥
はっきりしているのは私は混乱しているということだけだ。
えっと‥もうひとつ、娘の母親は紛れもなく自分だということ。子供は親を選べないからね。だから、ちゃんとしたママでなきゃと頑張るとどこかでダウンしてブレーキがかかってしまう。するとそれは病状が悪化したということでもって薬が増える。
悪循環じゃないか‥‥

悶悶と鬱鬱としながら子育てをしているから、さぞ時間のたつのは他人よりも遅いんだろうと思いきや、時間が過ぎゆくスピードは誰にも同じだ。当たり前…
娘も育つ、他の子たちと同じ速さでね。娘がもっと成長しても私は相変わらず病弱フェイスをキープしたまま老け込んでいくんだろうか……?


今朝は「ポンポンいたい」と言いながら起床した娘。オマルに座らせる…失敗。今日もオムツで出した娘。トイレトレーニングは根気がいりまする。
娘はオムツをとるのが遅いだろうなと勝手に予想している。私の子育てが下手くそだから。心の病気だけれど娘を愛している、子育てを頑張ると言いながら、やっぱり他のママのように手際よく上手に子供を扱えないのだ。
それでいて、ママはこんなだけどゴメンねと言い訳だけはいちおう呟く。
それなのに、娘は私をママと呼んでくれる。当たり前か…
とにかく他人のものさしを使わないこと。自分のものさしを使いなさい。と、自分に言っておこう。私は子育てできない母親ではない。そういう議論を自分に課すこと自体が間違っているのだ。
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