子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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解離性同一障害と子育てについて先生に聞いた


解離性同一障害について離人感について先生に聞いた。

人格交替の症状が出現する。いつもいつもでは無いが子育てに関係する出来事が引き金になって誰かが現れることが多々ある。
心の病気を持った母親が子育てに頑張ろうとすると、頑張りを茶化すようにも混乱させるようにもチラチラ現れては私を疲れさす症状。
なんとかならないのか? 疲れたら休むマイルールは守るけれど、私はもう、心理士さんから「少しの期間、育児から離れてみましょう」なんてアドバイスは受け取りたくないのだ。だから、主治医の先生に聞いた。

「いろんな人格が出ているような気がする。記憶が無くなった事が数日あった。若いのに健忘? それとも気のせいか? 薬の副作用か?」
「それは食べていないせいもあるのではないか? 見るからに痩せてしまって体力も低下しているはず。精神面への影響もあるはずです」

「いつまでも引きこもっていたくない、パートでもして頑張ろうと思う。そのほうが気も紛れるかもしれないし…働くことは嫌いじゃない。ただ、他人と接していると他人格が現れて混乱してしまうことがある」
「自分で決めるといい。働くことは可能だから、でも継続できるかどうかはわからない。しかし、症状が盛んになって娘さんをまた預けなければならなくなるとつらいのではないか?」
「私は娘を愛している。自分で子育てしていきたい。心の病気の母親に子育ては無理なのか?」
「無理とは言わない、あなたがどういう病気であろうと娘さんがアナタの子であることは変わらない事実です。ただし、あなたには医療と福祉と家族の応援が必要だ」

「乖離って人格を統一させる事なんですよね?どうすればいいんですか?」
「薬とカウンセリングで……ということになるでしょうね」
「身体のフラフラ、めまい、たちくらみ、心が宙に浮いている感じは?」
「食べないからじゃない?」


歯切れの悪い主治医との会話は、心の病気がいかに直接治療でないかを物語っていた気がする。つまり、薬を飲みながらカウンセリングをしてと、地道に自分を変えていくしか方法はないということか。

解離性同一障害の人が即効性のある薬でスパッと他人格の存在を消すことができたなら?

頭痛がスパッと治るように薬を飲んで楽になれたなら?良いのだが……どうやらそんな簡単なもんじゃないんだな……。


病院からの帰り道。
頭の中でずっと呟いていた。「自分次第、自分次第、自分次第……」
私の子育ては自分次第。娘と一緒にいられるかも自分次第。病気を治すのも自分次第。
そうさ、すべては私次第なんだよ。
おかしい…こういうことを考えているときは他人格は現れない。


一旦、家に帰り自転車で娘を迎えに行った。
帰ろうとすると園長が小走りでやってきた。家まで送りましょうと。
私は「大丈夫だ、娘と二人で帰れる」と園長に伝えたが、実は私が自転車でこけたのが見えたらしい……恥ずかしい話だ。
結局、見送られるはめになった……情けない。

入浴――
いつもの泣き叫ぶような入れ方をした。けれど、これは私がされてきた入浴法。私の入浴法なのだ。だから間違っていない。我慢して頭を洗う。それこそ私の入浴法だ。だから、責めない。私は正当化しているだけだろうか?

風呂上りは歯磨きと、薬塗り、軽い部分はヒルドイド。ちょっとひどい部分はアンダーム軟膏。耳はリンデロン点耳薬。赤く膿んでいるところはリンデロンクリーム。部分によって塗りわけをして薬を塗る。それがうちの娘の薬。それが普通なのだ。
薬を塗りながら娘に言った。
「お母さんは――ちゃんとと離れたくない。だから頑張る。だから頑張る」
そう言いながら私は泣いていた。
娘はニコっと笑ってくれた。
いっそう泣かせた。
だから、頑張るしかない。
自分次第ではない。私が頑張るしか方法がないのだ。辛いけれど、それが私の子育てなのだ。ただし、忘れないでおこう。困ったときは旦那や主治医に心理士に助けを求めることを。やはり私は健やかではないから自分一人の力で娘を育てることはできないだろう。頑張ることと休むことをどちらも捨てないことが大事なんだよ。
それから…
解離性同一障害の一因でもある私の幼少期の過去。愛されずに育てられた過去は消すことはできない。けれど、過去をもとにして決定づけようとする思考を修正することはできる。だからカウンセリングと薬は欠かせないと先生は言ったんだろうね。
生活態度が引きこもりがちでも、旦那や主治医や心理士さんに対しては心を開けておきたい。皆の手を借りながら私は生きている。そして、娘を愛している。それが私の主人格なのだ。
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