子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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出産を後悔して子供がかわいくないと思う理由


子供が生まれても喜びも感動もなかったし、正直、出産には後悔していた。

だから子供がかわいいとか、子育てにイライラしても子供の笑顔にいやされる感情なんて抱かなかったのだ。
産まなければ良かった…どころか、自分の子供の存在を否定しようとした私には、子供を愛せない理由があった。

子供を愛さなかった母親は、その子供から生まれる子供も愛せない。

親子には自然で無条件の愛情が存在するなんて誰が言ったんだろう……?
世の中には愛情無き親子関係が少なくはないと思う。

私が妊娠して子供が生まれようとしたとき、妊娠中に里帰り出産をしようと思って母に電話をした。
母の回答はこうだった。
「帰ってくるな」

旦那に相談した。優しい旦那は当時サラリーマン。
「俺が育児休暇を取るからこっちで産めばいい」
そう言ってくれた。

私は最後の最後まで働き続けた。
産休はとれないので出産予定の1ヶ月前まで働いた。
そして出産の為退職。


私は両親に愛された記憶が無い。だから、育児書を見て、それなりの親の義務をはたそうと努力をした。二度と私のような人間を作りたくない。だから必死に頑張った。

出産の日。
土曜の40週健診の日だった。
午前中に健診して「もうそろそろだね」と言われたが、そのまま自宅に帰された。

そして陣痛。
最初はそうでもなかったが、午後になるとひどく痛む。ひとりで産む。とてつもなく不安だった。出産入院予定の病院に行き、ラマーズ法を必死にやる私。
旦那は一緒に呼吸を合わせてやってくれるけれど、私のひどい形相を見て笑っている。出産時の痛みは女にしか分からないのだ。

生まれる直前まで、すごい声で叫んでいた。こんな思いするなら、産みたくない!産むんじゃなかった!いろんな思いがよぎった。
誰か助けて!痛いよう。苦しいよう…

旦那は立会い出産してくれる予定だったけれど、分娩室は前の出産の方が帝王切開だった事もあり、私は準備室で産む事に…。
それで、準備室は立会い出産できないというのでひとりで産むという状況に…
それは、本当に私を心細くさせた。

叫び疲れ、最後らへんは私はもうろうとした状態での出産だった。
娘は最後まで心拍音も変わらず元気に生まれてきた。

生まれて綺麗に洗われて、初めて娘を見た。
「こいつかー私の腹が痛んだ原因は!」
「なんじゃこりゃ、ぶっさいく〜!!!」
という感想でした。
よくテレビで放映されるような劇的な感動はいっさいなかった。

産後4日で退院。
旦那は嘘をついた。急に…
「育児休暇は取れない、だから休めない」
と言い出した。

産まなければ良かったと思った。出産を本気で後悔した。

不安で不安で仕方がなかった。文句をいっても、結果は変わらない。だから、また私が我慢する事になった。私はまた自分を犠牲にする。誰も頼る人はいない。また私ひとり。ひとりで育児をする。
育児書を買って、産後、一人で娘を育てた。

娘はよく眠る子だった。
けれど、私は娘の指しゃぶりの音だけで目が覚め、オムツを取替え、母乳とミルクをあたえた。
義務感でいっぱいで母となった喜びは全くなかった。
義務感でいっぱいで私は娘をかわいく思えなかった。
育児書通りにオムツ交換、ミルクをあげれば、その他の事で泣かれた時訳がわらずイライラした。
子供が生まれるとみんな言う。子育てはつらいけれど赤ちゃんの笑顔にすべてが吹き飛ぶと…。本当にそうか?

子育てにイライラしても子供から授かる感動がイライラを解消してくれる?

本当にそうか?つらいけれど頑張れば楽しいし感動するという典型的な子育ての方程式は、私にはなじまなかった。
私にとって子育ては義務であり、義務だから最低限のことしかしない。最低限の義務作業をはたした後は、赤ちゃんの泣く声に耳をふさぎトイレにとじこもった。
そうしないと狂いそうな思いがしたからだ。

努力家の私は、そうとう努力した。
我慢屋の私は、そうとう我慢した。
人一倍義務感の強い私は、そうとう義務感で娘を育てた。
でも、かわいいと一向に思えない。
愛情がないのだ。愛された記憶がない。だから愛せなかった。


次第に思いはゆがみ、殺意が芽生えていった。こんな子供いらないと思うようになった。そして、結果が今である。

私には母性本能が欠落している。
小さな命を捨てようとした。
母が言っていた「冷たい子」私はそうだと思った。
私は自分の娘を虐待し、殺意を抱いた。
けれど、もうひとりの私が「だめだ、それなら自分だけが消えてゆけ」と言う。
だから心療内科を受診した。
そして初めて、私が精神的な病気だったのだと知った。
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