子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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義母が家に来たから心の病気を打ち明けた


義母が家にやって来る。

義母は私の病気のことを大まかだけれど知っている。旦那がこれまでの経緯を説明しているからだ。

とは言え、老いた義母がうつ病だの隣人感だの解離性同一障害だのと主治医と話す内容についてウダウダ聞く耳を持っているかどうかは疑問だ。

せいぜい、今の人は心が弱いのね…程度の理解ではないか?と思っている。
義母の時代には精神疾患と言えば原因不明の人格崩壊とか、心の病とは暗い印象でしかないと思う。仕方が無い。それは義母に理解が無いのではなく、時代がそういう認識をさせたのだから…

けれど今は違う。心の病気には原因があって治療方法があって、当事者なりに頑張って人生を送れる術もある。術とは、社会保障とか福祉の支援とかそういうものだ。

時代は偏見を生んだけれど、当事者がより自分らしく生きられる仕組み作りに貢献してくれたんじゃないか?
少なくとも、保健師や児童相談所の職員にサポートしてもらっている自分はそう思うのだ。
ところで、嫁が持つ心の病気が子育てに影響してしまっていることを義両親にどこまでオープンにするか?
それについてはもう、旦那の裁量に任すしかないと思っている。
こればっかりは一般論が存在しない。
家ごとの考え方があるし、当事者の病状にも左右される。
私が親族から偏見をもたれるかどうかは、旦那の言い方伝え方次第なんだろね。


義母が訪れるせいか、当日は落ち着かなかった。
昨夜は早めに寝たつもりでもなかなか寝付けずに朝になった。
先に目覚めた娘は私が起きるのを待っていたみたい…
「ま、待ってくれ…ママはそう簡単には起きれないんだよぉ」
苦しみつつ8時前にやっと起きる。

すると今度は『遊んでくれ攻撃』がつらかった。
朝は体が動かんのですよ。勘弁して下さいよ。いきなりだけどイライラした。というか辛い。けれど、しばらくつきあうとひとりで遊んでくれる。だからまだいい…。

11時、約束の時間通りお義母さん到着。
頑張ってお茶を入れたりお菓子を出す。
義母の前にお座りする私はヘロヘロだ。
義母は娘と会うのが一年ぶりぐらいになる。ぶっちゃけ、私のことより孫の方に意識が向いているのは明らかでした……

おもちゃも買ってきてもらい、孫に会えてとてもとても嬉しそうな義母。
「私が心の病気をもちながら娘を育てていること」の話は、楽しそうに娘とじゃれている義母に、自分の口からわざわざ話さなければならないことか?
旦那がどんなふうに義母に伝えているかは正確には知らないけれど、義母が口にしないことを自分から話す必要なんてないんじゃないか?
と思うのだけれど、黙っていることは隠していることのように思えて、あろうことか、他人格も現れて「嘘つきだなあ、てめーは」なんてふっかけられてたからもう、自分から口を開いてしまった。

あんまり刺激の強い出来事はふたをして、大まかな経緯について話した。


迷ったけれど、ひどい部分はちょっと避けつつも今までのいきさつを話してしまった。
普段から理解してくれそうな雰囲気を持っていた義母。だから話せたのだろう。
私が受けた母親からの虐待。母親になった私の娘への虐待。私は病気だった。薬物療法やカウンセリング療法によって回復しつつあると。
義母は驚いていた。


義母と話している途中、少し離れて昼寝していた娘は、起きて泣いてしまった。
「こっちにいるよ。お母さんはいるよ。こっちで寝る?」と呼ぶと、寝ぼけながらやってきて、居間のカーペットの上で眠ってしまった。

不思議なことに、義母と病気の話をしている横でスヤスヤ熟睡している娘。

義母は感じたとおり、理解ある人だった。精神疾患を治療しながら子育てしていることについて、不安や驚きを隠すこともなく理解しようとする姿勢は強く感じた。

世の中には皮肉な話があるものだ。実母と義母は同い年だからだ。
幼少期に私を虐待した実母、心の病気で子育てしている私の身の上話を聴いてくれる義母。二人は同い年だ。
重ねるなと言われても無理な話で、私は義母の心と実母の心を重ねてしまった。見比べてしまった。複雑な思いに駆られた。

「なにか困ったことがあればいつだって相談にのるわ」と言い残して、義母は帰り支度を始めた。娘はすすり泣き始めた。何を言ってもニコニコしてくれる義母との時間がとても良かったんだろう。

結果論だが、旦那は私の病気についてあまり話していなかったようだ。あまり詳しいことを話さないことが旦那の優しさだったかもしれないし考え方だったんだろう。
親族には話を広げない代わりに配偶者である自分が責任を持つつもりでもあったのか? そういえば、旦那とはそういう話はしない。
園の送迎や朝食の準備をしてくれたりするが、言葉で、嫁の精神疾患についての考え方を聞かされたことはないのだ。
どう考えてるんだ?
私が不安にならないってことは、旦那を信頼しているんだろうか。ときどき頼りないと愚痴を吐く私だけど、旦那なりに私を支えてくれているはずだ。
それに旦那の義母も、話した印象では顔で同情しながら心で敬遠しているような人ではないと知った。
そういうことを直感的にピンとくるのが当事者のちょっとしたスキルだからね。
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