子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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精神病の母親 精神症状を治療している間に子供は成長してしまう


精神症状は結婚してから噴き出した。

旦那は、私が発症してから本人なりに努力をしていたそうだ。
私の精神症状が激しくて、普通の人から見れば〝おかしな女〟と目に映ったときも我慢していたそうだ。病気だから仕方がないと自分に言い聞かせるのに相当な時間が必要だったそうだ。
言い聞かせても言い聞かせても、私が旦那に罵声を浴びせたり子育てを放棄したり虐待めいた行動をともなったりしたときも、我慢を重ねたそうだ。
治療を続ければ精神疾患は緩和されて治癒すると信ずることに並々ならぬ努力が必要だったそうだ。
だから言ってみれば、妻の精神症状の回復が困難なことを理由に、離婚して親権をどうするかと考える毎日だったそうだ。

それでも、妻が精神疾患で引きこもることについて我慢の限界に達したのは子育ての件だったそうだ。

「もうダメだ。お前は娘に辛い思いをさせてると思わないのか?お前が治るのを待つ間に娘は大きくなってしまう。いつ会えるか分からない親を施設で待っているよりも、優しい里親に譲ったほうがいい」と言われた。

旦那が嫁の病気を我慢できても、自分たちの子どもの人生がそれによって道が変わってしまうことは、責任として対応してやらなければならないというのが旦那の考えだった。

これには、精神症状の波がスーッと一気に引いていくように私はうなだれた。
母としての娘への愛情以上に、現実問題が浮かび上がる。悲しいかな……旦那の言うことは間違っていない。限りなく正論なのだ……。

同時に、病気だから?子育て困難だから?全てが母親のせいで施設に保護されている幼子を思えば、母親としての存在価値を疑った。
私のような、精神病になる可能性が高い女が妊娠して出産したことへの罪深さをあらためて知らされるほど、娘への懺悔と自分の人生の暗さが身にしみた。

それでも、私は旦那に訴えた。
「今は精神病によって現実の判断がつかない。けれど心の奥底ではいつか娘と暮したい」
児童相談所の心理士にも同じように訴えた。
そうして、心理士に「それがあなたの母親としての娘さんに対する思いやりなんですね」と言われて泣いてしまった。

ところで、これは母親のエゴに過ぎない。というのは、子どもにしてみれば親の精神病や引きこもり症状は負の要素でしかないのは事実だからだ。

理由は、私が過去虐待を受けていた時、私は施設に入れた方が幸せだと思った。あんな家にいて苦しむよりは安心できる場所で暮せる方が良かったのだ。
これは自分の幼少期の体験が言わせる気持ちなのだ。

だからか、心理士に「それがあなたの母親としての娘さんに対する思いやりなんですね」と言われて泣いてしまった後に、「そうです。私は施設に行ける娘が羨ましいと思っています」と、過去の私が今の私を押しのけて発言してしまった。

その日帰宅した私は、昔の母を思い出してしまった。
怖くて『許して!怒らないで!怖い!怖い!怖いよぉ〜!!!』そう泣き喚きながら耳をふさいで部屋の隅で縮こまってしまった。
旦那はあきれていた。目の前でいい大人が子供みたいに泣くのでそりゃ驚くだろうって。
部屋の隅で泣いてる私は小さい頃の私。そうだ!私は、母に許して欲しかったのだ。
『産むんじゃなかった』『お前は邪魔もの』

努力して家の犠牲になっていくら頑張って働いても、母を思って我慢しても、母は結局そんな私に『とっとと家から出て行け!』と言いわたした。

私は必要のない邪魔な存在だった。努力しても結局無駄だった。存在価値を上げるために頑張った私はダメな人間だった。頑張っても無駄だった。
その虚しさ、何故だろう?と思っていた。だけど、旦那とのやり取りで出てきた過去の私は『ただ許して欲しかった』と言っているのが分かった。

初めて分かった。
愛されなくてもいい。誰かに許してもらいたかったのだ。誰も私を許してくれなかった。生きている事を許して欲しかった。愛して欲しいというのは贅沢。だからせめて私を許して欲しかったのだ。とてもすごい発見だった。後にこれ、乖離現象だったと知った。
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