子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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変なママの子供は変な子供ではないのだ


変なママ友が話題にあがることってあるみたい。

私にはママ友がほとんどいないから、変なママとして私のことが話題になる機会はあるんじゃないか?

ただ、変なママの子供は変な子供ではないと思うんだが……

保健師の見守り訪問を受けた。
なぜか二人来る。なぜだ? まあいいや……
精神的につらいと感じたとき、旦那にそのことを言えるか? 
と訊かれて、言えると答えた。理由は、私は義務感が強いからだ。
こうして保健師の質問に正直な回答を返せるのも義務感が強いからなんだと思う。心の病気の母親が原因による娘の命に関わることであるなら当然、保健師にも旦那にも辛いときはSOSを発信する。
私は義務感が強いから、病院にもカウンセリングにも行く。そして児童相談所にも即座に連絡するつもりだ。

保健師の訪問を受けて、ぞんざいな感情が生じたせいか……私の表情は強ばっていたのだろう。見た目は無表情でも目つきが少し少しきつかったようだ。
そのせいか、しばらくして園に娘を迎えに行くとよその子供達に「こわい」と言われてしまった。
「変なお母さん」そんな印象を与えたみたい……
子供は正直でいいねー!
するとその子供たちは言うんだろう。それぞれのお母さんたちに。
「――ちゃんのママは変な人」
するとそのママたちは言うんだろう。自分の子供に。
「そう……あんまり仲良くしちゃだめよ」

私と娘への偏見とは、とても簡単に持ち上がるはず。心の病への偏見に難しいプロセスなんて必要ない。偏見とは、人々の自然な感情と思い込みによって、いとも簡単に生じて、いとも簡単にスパイラル的に拡散していくものなのだ。
この理屈は健やかなる人にはピンとこないかもしれないが、当事者特有の直感にはピンとくる仕組みだ。

精神疾患の母親が子育てしている場合の最大の問題は、親の病気によって子供に偏見が飛び火することだ。

私は、なんとしてもこれを避けたい。
けれど今の時代、親が心の病であれば自動的に子供も一目置かれてしまう。
悲しい事実だが、これもまた事実だ。

子供は親を選べない。

保健師に同じような愚痴を言ったことがある。
私は偏見にさらされてもかまわない。悲しいけれど偏見を受ける根拠があるから。けれど、子供まで警戒されるのはどうしてだ?
子供には落ち度がない、なのに、敬遠されてしまうのはなぜだ?
……としながら、その理由は知っているつもりだ。

だからって、心の病になった自分を責めてはいけない。
自分を責めることは娘の存在を責めることでもある。

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