保健センターに行った。ここには子育てに悩んだり虐待してしまう問題を取り上げるピアグループのようなサークルがある。
子育てに悩んだり母親自身に問題を抱えたママ同士が、もの悲しくてネガティブなどうしようもない複雑な心情を語り合い、苦悩を分かち合い、時に支援と情報交換が行われる場所だ。悲しいかな、虐待とは継承される性質があって、虐待を受けながら育った母親たちが自分たちの子どもを虐待してしまうケースは少なくないのだ。引きこもった母親に引きこもりさせられる子ども。そして虐待……。
そういう母親達が、子育てについて悩みと苦しさを吐き出したり…
ときには旦那の愚痴をこぼしたり、とりとめのない井戸端会議に花が咲いたりと…ここは、心を病んで育児に問題を抱えてしまった引きこもり主婦の安心できる居場所のようなところなのだ。かねてから、私はそれに参加したいと望んでいた。
民間団体としても類似の施設やセンターはあるが、ちょっと自宅から離れすぎている。そこに通う為に満員電車に乗らねばならず、なにせ人混みが大変嫌いな私には不可。やはり身近な地域の中で心のよりどころを探すしかない。
その結果、私の居住区の保健所でもそんなセンターがあることを知って飛びついたというわけ。いろんな属性の母親がいる。子育てに悩むママたちとは言っても、虐待の問題を抱えた母親も属する。だから、育児ノイローゼや子育てにイライラする類いのレベルよりも深刻度は高いサークルに値するのだ。
審査もある。主治医の診断書や参加可能かどうかの精神科医の意見書も必要。事務手続きも含めると実際の参加には数ヶ月単位の時間が事前に必要だからけっこう大がかりなものだ。そこの担当者さんとの面接ではあたしの生育歴なんてのも聞かれて丹念に記録している風景はやっぱりサークルというより医療的なイメージも色濃い。
例えが正しいかどうかは疑問だが、精神病者のデイサービスの形態によく似てるんじゃないか?とそんなふうにも感じた。
私がこのサークルに期待していることは…
「同じような境遇を経た人がどういう子育てをしているのか」
「そして乗り越えているのかを聞きたい」
それに、問題を抱えたまま引きこもってしまって自分でさえも自分を肯定できなくなってしまったお互いが共感できる場であって欲しいということ。
――私も、幼稚園のお迎えが嫌いだった。
娘が遊んでいてなかなか帰ろうとしないからだ。
これ、子育てには当たり前の風景なんだろうな。普通なら、そういう園児達の周りにはママ友が見守りながら井戸端会議に話を咲かせているものだ。
でも、あたしはそういうつながりが嫌い、いや、できないのだ。気の利いた挨拶や、会話がギクシャクしないような流れを保つことが下手だった。そういうあたしのキャラは同じ幼稚園のママたちにも知れていて、自分は敬遠されているようにも感じた。これって被害妄想なんだろうか? そんなことはない、他のママたちがあたしを敬遠していたのは少なからず事実だろう……。
他の母親達と上手にコミュニケーションをはかるスキルは、子育ての成功度に大きく貢献すると感じた。友達のママと明るく会話している自分の母親を、子供はいつもチラチラみている気がする。子供は子供なりに母親力を無意識に判定しているのだ。そんなことさえ感じた。だからこそ、余計に卑屈になる私。周りの母親からも自分の子供からも試されている錯覚すら感じた。それは被害妄想?精神疾患の症状?でも、普通に機能していない母親であることは事実だ。
――家に着くと、今度はいつまでも自転車の後部座席から降りようとしない。
ようやく降りれば今度は家に入ろうとしない、そうしてご飯を用意すると食べようとしない。子育てって、どうしてこんなに面倒なんだ?
愛情以上にイライラが突き上げてくる時もあった。娘生まれてから不満ばかり、不安ばかり。一緒にいて疲れる。緊張する。義務感で世話をする。結果、自分がノイローゼになる。
Nくんのお母さんは幼稚園に迎えにくるなり、子供への溺愛ぶりを披露していた。いつもどことなく疲れ切っていて表情の暗いあたしとは大違いなママ。すごく素直に子供を愛していることが伝わってくるのだ。素直に、これは子どもを愛そうとして愛しているのではないと言う意味。そもそも、子育てとは自然な営みなんだろうな。頑張るような類いのものじゃないというか……。
いつもいつも、幼稚園の送迎ではママとして劣等感を感じた。