子育てに悩む引きこもり主婦のブログ。ダメママでも母親失格でも・・・そして精神病でも子育てはできるのだ。虐待を受けて育った子供は、大人になり親になると同じことを子供にしてしまう?明るいママ友コミュニケーションのそばで子供がキャッキャと遊ぶ風景なんて私たち親子にはない。それでも私は娘を愛してる、もう児童相談所には預けないと誓う。
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子供を愛せない母親の誓い


生まれた子供を愛せない母親だった。
子供を愛せない原因はすべて言い訳でしかないと自分に言い聞かせ責め続けてきた。母親とは子供を愛し育てるのを母親と言うのだ‥そうやって自分を厳しく非難してしまった理由は、自分が愛されなかったからだ。

私は虐待を受けて育てられた、つまり、愛されないで育てられた。
幼い頃‥母親が自分を叩く理由がわからなかった。何を言っても返事をしてくれないのが不思議だった。突然、怒鳴られる理由が知りたかった。聞くと…また怖い顔をされた。だから、黙ることで母親に好かれようとした。親からの愛情は与えられなかったが、神様から命を授かった時点で生きようとする本能は与えられた。私は母親に愛着することはなくとも生きて成長することへの執着は存在した。虐待という強いエネルギーに対峙するのもまた、本能という強いエネルギーだったのだろうか?

小学生だったころの私の行動は全部、無意識な行動だった。そして大人になって、小さかったころの自分をあたかも他人の子供のように、こうして振り返ることができるのだ。すると、子供を愛せない母親に対する否定的な感情が人一倍強くからだじゅうにあふれてくる。だから自分の子供を愛せない自分を強く否定し、母親失格だとさげすむのだ。

そもそも精神病気質は遺伝的なものと生育歴によるものだと思う。障害が結婚生活にも子育てにも強く影響を及ぼして問題を発生させることは目に見えていた。こんな私だから、ずっとひとりで生きる道を選べば良いのに結婚とか出産とかに挑戦してしまった。子供を育てられない母親…それは結婚した時点で確定していた母親像だったんだろうか?

それでも子供を産んだのは、自分を変えたい、幸せになりたい、誰かを幸せにしたい…と、そんな欲求がなくもない自分だったからか……?


大人になった私は人混みが嫌いだ――。
自分の周りにたくさんの人がいると、その存在感だけで吐き気をもよおしてしまう時もあるぐらいだ。
なぜだ? 他人の存在感に自分の存在感がいつもいつも負けているからか?
それとも私が心の病気だからか?私の精神が脆弱だから健常というタスキをかけた人々にコンプレックスを感じるのか?だから気分が悪くなるほど他人の存在感に憂鬱になってしまうんだろうか? 人混みは自分への偏見を強く助長する。でも今日は違った。

娘とショッピングセンターに出かけた。
祭日のせいか、親子連れで賑わっていた。みんな楽しそうだ。パパとママに連れられて館内ではしゃいでいる小さな子供。きっと娘との年齢はさほど変わらないはずなのに、どうして私の娘は育児困難で児童相談所に預けられた経験がある?

ショッピングセンターでは上履きを買った。幼稚園で使用する上履きだ。靴を買ってもらった娘はとっても喜んで、わたしもつられて喜んだ。子供がかわいいと感じた。ファーストフードで昼食もした。娘はニコニコ顔でご飯をほおばっていた。その笑顔とか仕草を見ているだけで私は涙が出てしまった。

ああ、今こうして娘と二人で過ごしている幸せってすばらしい。幸せって思えた自分に対して涙が流れたのだ。なぜなら私は子育てができずに児童相談所に子供を預けるような、子供を愛せない母親だったからだ。

娘の笑顔が面倒くさい‥だから母親を辞めてしまいたい、すぐにでもこの子の母親である自分から解放されたい‥本気で思った過去の自分がたしかに存在する。罪深い過去の自分だ。娘の笑顔が面倒だと感じた過去の自分は母親失格で我が子を怒鳴ったり叩いたりした。娘は児相の担当職員によって守られた。

そんな私が今こうして、自分を見てニコニコしている子供をギュッと抱きしめてあげたいと思う幸せと喜びを感じている。涙が流れた……。

娘には悲しい思いをさせたけれど、私というママは変身することができた。もう離さないぞ!その場で、ギュッと抱きしめてやりたかったけれど、周りに人がいっぱいいたから無理だった。けれども、ここにいるどんな親子よりも私たちは輝いている。離れていたからこそ、病気だったからこそ、一緒にいられる事の喜びを知っている。まだ病気だけど……

私は人混みが嫌いだった――
でも今日は違った。人混みが気にならないほど、娘への愛を自覚した。親から愛してもらえなかった私が母親になった。私も同じように我が子を愛せない問題を抱えた。だけど、この日に流した涙を大切にしようと思う。

虐待は継承されてしまうと言う…私も愛されぬまま大人になった。たしかに、自分が母となり虐待は継承され私自身も出産を後悔した。そして、産まれた子供を愛せない母親となった。ただ、ひとつ違うことがある。それは、子供を愛せない母親から子供を愛せる母親に変わろうとしている自分を感じていることだ。

もう誰にもこの子を渡さない。私が犯した過ちのすべてを許してくれようとするこの子に誓いたい。ママは誰よりも誰よりもあなたを愛しているということを。

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